徒然

誰も見なくていい日記

血筋

久しぶりだ、と言おうと思ったら一か月前に酔った勢いで感想をつらつら描いたものがあった、久しぶりでもなんでもなかった。

まぁ、素面の状態では、久しぶりだ。

私自身、家族とは仲が良い方だ。
喜びや悲しみを分かち合い、尊敬し合う。
刺激となり癒しとなりそんな存在だと思って生きていた。

先日、兄妹から「妹たちの1人も守れないなら誰も守れない」とバッサリ言われた。
それこそ、本人は酔った勢いだ。
本人に聞けばもう記憶はなかった、傷つけてしまったということは覚えてるらしい。

正直なところ、傷ついてはなかった。

だからもちろん本人には「傷ついてないよ」と薄っぺらく言った。
でもね、と続けようとは少し思ったけどなんかそれは違うか、と反省して頭を垂れる本人を少し慰めた。

守ろうとはいつも思ってた。
行動に移すものなら移してたし、限りある金銭と時間を有効的に使って、なるべくの妹たちからした「いい環境」を作っていたはずだった。

はず、なんだよな。

どこかで嫌だったかもしれない、足りないよと思ってたかもしれない、でも上の兄弟だから、と気を遣わせてたかもしれない。
私のしたことに意味があったかどうか、言ったことに意味があったかどうか、結局どちらも自己満足の果てでしかなかった。

言わないだけで、みんな嫌ってたり、不満があったんだろうな。
私の家族はみんな優しかった。それはすごく。

誰も救えなくて誰も守れなかった、核心だった。

そうかもな。

感謝をされるわけでも都合よく使われることもどちらもなかった人生だったかも、と人を当てつけにように考えて、良くない思考だ、と少し軌道修正して。

信用を作り上げるのはかなりの時間をかけるのに、その信用を失くすのは本当に一瞬だ。
だからこそ亡くさないように、信用されるように生きてるはずなのにな。

私は傷ついてたのかもしれない。
ここまで色んなことがあると傷がどうついたのかよく分からない所まで来ていた。

家族って、嫌いだから嫌だからと疎遠にできるほど簡単なものではない、と子供のころからずっと考えてた。
それは今でも変わらない。

でも、だからこそ、少しある不平不満やつっかかりを飲み込んで解決をできるならして、少しずつ少しずつ築き上げるのが、家族だ。

嫌いだなんだとすっぱりやめられることがどれだけ無責任で優しくなくて身勝手なことか、もっと早く気づくべきなんだ、