徒然

誰も見なくていい日記

拝啓

昨日は夜遅くまでありがとうございました
本当はあの時言おうと思ってたんですけど時間も時間だったし、あの子も全快ではないことから口を挟むことをやめてしまってました。

メールとなってすみません。

お父さんは、理解ができないかもしれません。
そんな特性を、あの子は持つようになりました。

ここ1年程なんですけど、店長が変わってから露骨にメンタルを病ませてしまっていて。
出かけていて突然辛そうな顔をし、過呼吸のような(たぶんそうらしいです)発作を起こし、休み休み家に帰った日がありました。
私は過去に1度だけそれがあり、遅くまで遊ぶことをやめました。(どこがきっかけになるか分からないのと、今回のような激しいものが起きた際、帰れる距離に居たかったため。)

元々、私に恋人が出来てから時間の確保が出来てないのも理由の一つでしたが、心の底から元気な状態がほとんどなかったのが気がかりで。
何回か今回のような弱音?本音?を言ってくれたことがあったのですが、どう返せばいいか分からずじまいでした。

自己肯定感低いとか、責任感とか、そういう類だと私は思ってました。

店長さえ除けば人間関係もひどいものではなかったし、趣味も悩みあれど解決しながら楽しんではいたのです

でもふとした時に「全部辞めちゃいたいなあ」と夜中に漏らしたこともありました。
その時は仕事がめちゃくちゃ辛いんだろうな、と一括りにして少しだけ励ます形でした。

自分を犠牲にするのが美徳と思い込んでる節があり、自分に酔ってると言えばそうなのかも知れません。

うん、とか、はい、とかの肯定的なものが欲しくて言ってみたものの、欲しかった言葉ではなくまた落ち込む。
自分には合う人がいないんだと、よく跳ね除けられました。

今回の件で、お父さんは理解も肯定も難しかったと思います。
とにかく半狂乱で、人間離れで、頭のおかしい姿だと、ひしひしと感じた時間だと思います。
裏切りだし傷を負った、娘として情けないものだと。
あまりにも酷く、辛い言葉が多かったと思います。

本当にその節は申し訳ございません。
もう少しこちらもフォローやバックアップが上手ければ、と思うものの、少しでも失敗すれば終わってしまうのでないか?と恐れていたのも事実です。

その恐れていたもの全てを聞き出し、答えて、結果を聞けたのはとても怖かったと同時に感謝もあります。
本当にありがとうございました。

彼女は、たぶん背中をさすってあげれば良かったのだと思います。
結果とか経緯じゃなくて、今して欲しいことをたった一言を言うのがすごく難しかったのかなと。

変わってしまったのはほんとは前からで、そこに気づけてなかったこちらの落ち度と、彼女の表現力のなさや伝え方が出来てない未熟な所、爆発の仕方が酷すぎたこと。
全て重なってしまったんだなと。

表面張力が崩れたようなもんかな、と私は解釈しています。

慈愛

秋になった
昼は暑く、汗ばむのに、夜が深くなると風は冷たく、お風呂に上がったとき湯冷めをするようになった。
体調も著しく悪くなった。
やっと元に戻りかけているが。

人生は、大切な人を増やしてしまうのは間違いなのかと思う。

たぶん、間違えでもないし、正しいと思うならそれでいい、くらいなんだろうけど。

3年前に、色々あって、もう自分はこんな年齢になってしまってて。

大切な人ができた。

家族以外に、友達とも言えない、もっと超越した存在。
初めてできた存在。

生きててくれてありがとう、と何度も思った。
好きでいてくれてありがとう、と何度も言った。
どうか離れないで欲しい、と何度も願った。
幸せになろう、幸せにしたい、と何度も噛み締めた。

よくわからない感情に何度も苛まれた。
なにが正しくて楽しくて、好きがわからずに時間が進む怖さに溺れた。
解決されてるようで解決できてない結果論が私の背中を刺した。
マイナスとプラスを、好きと嫌いを、行ったり来たりしていた。

まだ早かったんだ、とよく責めた。
相手の気持ちを踏み躙るように、自分を責めた。

会うと楽しくて、嫌なことを全て忘れて、頭の中が楽しいという感情で終わってしまう。

それでいいのかわからなくて夜中に何度も検索した、同じような人を見つけては安堵した。

たまには相談して腑に落ちては別のことで悩んだ。

別の人間関係が全て上手くいかなくて、私は嫌な人間なんだとよくわかった。

数年前に比べてだいぶマシになった情緒と外見を、客観的に気づいては幸せになった。
そうやって、マイナスとプラスを積み重ねて積み重ねて生きていくしかないのかもしれない。

ない信頼をどうにか作り上げて必死になってる私に無条件に愛し信頼してくれるあなたがいてくれて、本当によかった。

一緒に死んでいこうね、

本音

もうあの時のようにあの人の助手席に座ることはこれからの人生に一度も訪れないこと
あの人の作るご飯が私の胃に入らないこと
いつもの毎日のようにおかえりの声がないこと
お風呂上がりのあの雰囲気がないこと

死ななきゃよかったのには何度も思うのに、じゃあ私が代わりに死ねばよかった、とも思わない
いや、思ったことはあるけど犠牲のある人生を私の周りに背負わせたくないな、とも思った

難しかった、なにもかも。
今はみんながストレスを抱えてるのはどうしようもない、社会的問題でもあるし家庭的な問題でもそうだ。

わかってるのにこんなに難しいとは思わないじゃん

ストレスの解消方法なんてもう何がいいのかもわからないしそれさえもストレスで。

今はじっと現状維持をしてくれと頼まれた。
でも多分このままだと閑散期入ってこちらの収入では食費が出ない。
節約、節約、ずっと節約してるのに推しは捨てられないし、同じくらい家族を助けたい。

私ひとりの体じゃとうに無理だ
わかってるのにこんなに難しいとは思わない

飲酒

どうもこんにちははてブ
近しい人を亡くした割に嫌いな人間を見ると死ねと亡命を懇願してしまう私です。

はてさて近況は特にないけど最近は酒癖の善し悪しを気にするようになりました、これは昨日からの悩みです。
家族に酒癖が悪い?方なのかな、良いとは絶対に言えないような人がいて、酒を飲まないでほしいと思うレベルで。
でも本人は多大なストレスを抱えてるからこそ飲酒をし泥酔することによっていつもの自分に戻る、だから許してくれないかと半年前くらいに言われた。
いや、まぁ、ストレス発散ならいっか、とかその時も今も思ってしまい、アルコール摂取して数時間経って始まる嘔吐と愚痴と号泣の繰り返しをただただ介抱する時間を過ごす。

まぁ、ストレス発散ならいい、のかな。

その人には「家族への信頼性がないこと」を目を合わせて言われたことがあった。
数少ないかけがえのない家族からそう言われると、私はそれほどひどいことを言ったのか、と反省した。
死ぬまでに吐露してくれてよかった、とも思った。

信用されてない人の酔った姿はあるべき姿のようで、なんかちょっとでも頼られてる気がして、少しそれが嬉しくてついお酒を飲まないでくれと言えなくなった。

あくまで自己満足でしかないけど。

自分は性格が悪いし、見た目も悪いし、人のことを考えられないクズだから、信用を亡くしたことも当たり前といえば当たり前だった。直接言われたことに驚いただけで。

私とその人の関係性は修復出来ないような気がする。
気がするだけで、もしかしたら2人してどうでもよくなるかもしれないけど。これもうぬぼれだ、頭がお花畑なだけの現実逃避。

その人は、人生によく疲れてる人だし整った身なりで気を使ってたからそれに漬け込んだ汚い男も周りにいたし、それによるストレスも私の何倍もある。
醜悪な私には感じたことないストレスだ。

嫌いじゃないけどだからといって好きでもない、死なれたら困るけど生きてても少ししんどい。
程よい距離感が欲しいのにべったり付き合ってると落ち着く。
一言で言えないけど、私はもう少し大人になるべきだ

自負

この世は気分の悪いことばかりだ
私がそうやって受け取るような生き方をしてると言われたらそうだろうけど。

社会的に気分が悪いものだったり、個人的に虫の居所が悪く気分まで悪くなったり、所詮そんなレベル。

逆に気分が良くなるものは探さないと見つからない。

この世は不条理だ、とよく思う。

いなくなって欲しい嫌いな人こそ長く生きていて、大事な人やものこそ早く亡くす。

嫌いな人も誰かの大事な人なのだと、100万回は言い聞かせて無理やりまとめようとしたが全く腑に落ちずに終わった。

銀婚式だ、と嫌いな人は嬉しそうにしていた。
もちろんそれは私の親も通った道だ、気にするなと言われたら終わりだが気に食わない。
子供っぽいのはわかってる、そんなことで感情を揺さぶられてたらキリがないことも。

四十九日法要が終わってもこんなことを考えてる嫌な奴でごめんなさい。
たぶん、こんなとこ見られたら悲しまれてしまうんだろうな。早々にバレてそうだけど。

「死んだ者が望んでるのは残された者の幸せだ」

この前見た映画のセリフ

例え人を憎んでも恨んでも悲しんでも怒りに震えてても呆れても、誰も、あの人も望んでいない

私は私の人生が大嫌いだ。あの嬉しそうな嫌いな人と同じくらい。
思い返せば気分が悪くなってくる。吐き気が出てくる、おぞましく。

何度言ってもあの人は帰ってこない、何度言ってもあいつは生きてる

後悔と憎しみばかりが出てくる人生だった。

月日

一ヶ月が経つ。
あの日から。

結局、なんとかかんとか普段の日常を取り戻そうと必死で、余裕はあまりない。
自分のことを考えたり、人のことを考えたりするが、100パーのクオリティでもなんでもない。

四十九日までは悲しんでいいと聞いたので毎日思い出して後悔して泣いてまた朝になったらご飯を用意して虚無感を見ないふりして楽しい気持ちを表にして手を合わせてる。

私はそんな生き方をこれからもするらしい。
まぁ、ここまで年齢を重ねてしまうとガラリと変えることがどれほど難しく固い脳みそになったかがわかる。

みんな誰しも思うことはあって、それがプラスなのかマイナスなのか、怒りなのか悔しさなのか悲しさなのか。
多分全部なのかもしれないけど、前を向いて生きていかないと、のしょーもない偽善はある。
J-POPの歌詞じゃないんだからさ。

この解釈が合っててこの解釈は間違ってるとか、その考えは違うとか、そういうのはほんとになくて、むしろ人の死を弔うと同時にそんなたかだか数年生きてるだけのやつからカテゴライズされるようなものなのかが不思議だ。

あまりに大層な話なことを理解すればするほど、実感が湧くから、寂しくなるから、会いたくなるから、無理して現実を見てる感じを装ってカテゴライズしたいだけだ。

死ぬなんて、簡単に見えて難しい。
残された側の人の気持ちも、先立った人の気持ちも、全部分からなくて、無理して分からなくていい

色恋

恋愛って難しい
よっぽどの余裕がなければ相手も思いやれず自分には支障をきたす。
じゃあ余裕ができた瞬間に欲しいと思えば出てくるのか?と言われたらそうでも無い。
この世は生殖行為を主に人体と人生が出来上がるのにそれまでのプロセスが複雑すぎる。
どれほど産まれてくる命が尊いのか、に繋がるわけだけど。

生涯愛すと決め結婚と子宝に恵まれたのに早々に亡くす悲しみ
やっと手に入れた好きな人が自分のことを傷つけるような相手だった痛み

何が正しくて、何が間違っていたんだろう。

選ぶのが下手だった?
生きるのが下手だった?
そういうタイミングだった?
偶然そんな人に出会っただけ?
もっと良い人がいる?

そんな戯言を聞きたいわけじゃない。

死ぬことも、傷付くのも、生きてく上で離れられない物事であって、早ければいい数が多ければいい話ではない。

とにかく大事に日々を過ごして、遠く、遠く遥か向こうにそんな悲しく痛い出来事とはかけ離れたような、そしてそんな時に隣に立っていて同じように思ってくれる人がいるのならば、それが良い人生のお手本なのだろうな。

それが出来ないから、今はこんなに苦しく切ないんだろうな。