徒然

誰も見なくていい日記

虚脱

誕生日が終わったことで、ひとつ書こうと思う。
先月身内の一人が亡くなった。
こんな匿名性のある場で書くのはネットリテラシーを疑われるかもしれないけど、少し吐き出したくなった。

そして今日は夢に出てきた。
生きてるころのようにキッチンに立って楽しそうに料理を私たちに振る舞う姿で、私たちは今の状態なせいで心から喜べていなかった。
「思い出さないようにしよう」と小さな声でただ唱えた。

会いたいなぁ、と思うのは罪なのだろうか、悪なのだろうか。
生きてて残された人がそう思うのは普通だと思うけど、そうじゃないのかな。

立ち直ろうと前を進むのはわかる、私もそうしたいけど、全然そうならなくて、ただただあの日から止まってる。

推しがいるおかげでどうにか取り繕った日常は崩れず私らしさのアイデンティティの確立もできてる。
ギリギリの状態だ。

「お母さんの代わりとして生きなくていいよ」と優しく声をかけてくれる人は周りに少なからずはいた。
もちろん、それはそうなんだけど、なんかなぁ。

素直な話をすると、発覚した去年の夏から「いつかあたりまえがなくなる」危機感はずっと頭にあって。

入院が始まるたびに、寂しそうな父の背中、兄弟の体調の変化や普段とは違う反応、私が代わりにならなくてどうするんだ?の気持ちが常にあったし、まだお金の出所が両親なだけ「私」として生きてるな、と思った。
そんな意識がずーーーーーーっとあって先月なんだから、やっとここから本番みたいな所がある。

お金の出所も父親と私が主になって、給料も半分以上は食費と兄弟のものだ。お小遣いが足りないから、の理由と私の中では私と同じくらい推しを愛してる以上力になりたいと思っていたから苦でもなかった。

靴も、服も、生写真も、ぬいぐるみも、文房具も、ご飯も、おやつも、洗剤も、交通費も、ゴミ袋も、全部。
苦しいから他の上の兄弟に分担しようと声をかけたが上の空だった、まともに育てようとしてるのは私だけらしい。

勉強も今までより教えなければいけなくなったし、将来も考えなければいけなくなった、私の将来も、兄弟の将来もだ。

お母さんの代わりでいれることに少し「頼られてる感」があって嬉しい自分もいた。
虚栄心だけでしかないけど、姉としての威厳がずっとないアホみたいな女として生きてたのにガラッと変わって、私がしなければゴミは溜まるばかりだったし水場も汚いままで洗剤やトイレットペーパーの替えだってなかった、これは私の存在意義だ、なんてバカみたいなことを考えてプライドを維持した。

たまにはゆっくりしてくれと優しいことも言ってくれるが、この忙しさに酔ってるとこもある。
ゆっくりしてる間に誰かが何かを完璧にできた時、私のいる意味がわからなくなるような気がする。
知らんけど。

ご飯は下手だと自負してる、遠回しに家族全員からダメ出しをされた。
ここに関してはもう努力しかないな、の面しかない。
私の家族はみんな優しいからバッサリ言わないけど、それが回り回ってしんどい。言われた日は頭の中で言われたことがぐるぐるして泣きながら寝た。

喜んでくれるだろうか、の一心で買ったパンは誰も手付かずで期限が3日も切れた、それを二つほど胃に詰めてから出勤した。

虚しい気持ちが常にある。
誰のせいでもない、私が全部悪いんだろうな。
「突っ走ってなにしてんだろう」の気持ちがみんなあるんだろうな、悲しいし虚しい。

虚脱感に襲われていっそ私も、なんてどうしようもないことを考えるからそれはやめた。
お母さんの代わりにみんなと過ごすって決めたので。

普通

普通に囚われすぎた気がする
気がするだけ。

兄弟が多かったけど、多い割に自由のきいたしがらみのない日々を過ごしてもらった気がする。
普通ならもっとうるさくてドタバタしてコメディたっぷりなお母さんの怒号があって、みたいな、そんなものはなくみんな個性はあっても常識外れな子供らしさはなかった。
それが良いと思うのは自由だし個人の価値観だ、育てやすいと言われりゃそうだけど、子供らしく吐き出せるタイミングがなかった故に裏に抱えた感情を親も自分自身も処理が出来なかったんだ。

反抗期が半数がなかった。
半分は激しいよく見る反抗期があって、半分はなかった。
私と兄は刃向かってイラついて物に当たって親を悲しませた。
もちろん私は今しっかり働いてどうにかこうにかその分の親孝行をしてるつもりだ。
下の妹たちはそれを見てたからか、わかりやすい反抗期がなかった、「反抗期来なかったね」と昔話のように言うとだいたい「隠してただけだよ」と返される。
所詮そんなもんだ。

なんも無いことは無かった。
年相応な感情はあったのに、それを気付かせないように過ごすのが上手なだけだった。

普通という言葉の反対が異常ならば、私たち家族は異常なのかもしれない。
罪も犯さず朝起きてご飯を食べて夜は眠って、腹立つことはあっても表には出さずに働いてるのに、異常なのかもしれない。

異常な私は「普通」に囚われすぎた

暴言

黙って聞いてたら好き勝手言ってんな
揚げ足とってマジレスばかりして何がしたい?何を言いたい?
お前は好きなこと言って気持ちよくなってるかもしんないけどな、人の感情なんてわかるわけねえんだよ
結局お前の言ってることは全部お門違い
間違ってばかりの御託を一生並べてんだよ
気持ちわるい
親のことを感謝も信頼もしてねえやつに何がわかんの?
ちょっとは引いて自分のこと考えろカスが
親にも感謝できない家族にも信頼できない男には頼るってなんだ?あばずれかなんかか?
きたねえ事してねえで身の程を弁えろ
足元ちゃんと見ろよ
今の立ち位置わかってんの?
気持ちの悪い人間のこと好きになるからそうなんだよボケが
いつまで10代の馬鹿みてえな気持ちで生きてんの
大人っぽいって思ってて馬鹿みたい
全然そんなこと無かったわ

信念

と、いうわけで明けた21年

なかなか話すことがたくさんになった。

ひとつは家族、身内についてだ。
これらは変わらず右往左往として確立とした答えはまだ見つかってない、見つかってないくらいがもしかしたらちょうどいいのかもしれない。
理解し得ない、分からないことから来る不安や嫌われてしまう恐怖で綱渡りをするくらいの面持ちで、こいつらはこんなんでいいと慢心した先の後悔が押し寄せるよりはマシなんじゃないか、と少し正当化しようとしていた。
石橋を叩いて渡る、むしろ叩きすぎて周りから声をかけられるくらいで、ちょうどいいのかもしれない。

もうひとつは推しだった、グループの話をしよう。
今日はそれについて。

私は偶数のグループが嫌いだ。
センターは割れない、シンメやコンビは綺麗だがそれは雑誌や生写真などのグッズについてでしか褒められない、3:3のフォーメーションより奇数でばっちりセンターを作り込むくらいが王道でいい。
推すなら奇数だと、奇数を推しててよかったといつも思っている。
6人だったのが加入して9人、良い。
全然それはよかった。
偶数なんて数学的には割り切れてもアイドルオタク的には煮え切らない。
趣味は人生だ、出会いは宝だ、だから人脈と推しはかけがえない存在だ。
だがどうした?
偶数より奇数がいいってずっと言ってた。言わずともずっと思ってた。偶数を推してる人には悪いから、エゴを押し付けるのは良くないからと気を使った。

周りは取り残されてる。
6に。過去に。

嘆かわしい。

9として前に進んでいく姿を見れないのかと思うと悲しい。
一部の人の話を主にしてる。もちろん。

あーもうなんだ。
めんどくさい、全部。

記憶

最近の話をしよう。本当に最近、昨日から今日にかけての話。

記憶が消える、いわば記憶障害がこの世にある。
不安だったりストレスだったり原因は様々。
私はそこまでではないが、忘れっぽいほうなのは自覚していてその代わりと言ってはなんだが人の顔や名前、色んな現象に名付けられた横文字などの「あまり忘れてはいけないもの」は1回で覚えられる頭だった

そんな感じで困ったことはそこまでないし、風景や思い出も思い出せる。
しかし、作品や音楽を記憶するのがめっぽう弱く、映画は1回見てもストーリーより場面場面で憶えていて、人に説明するときは時系列がごっちゃに混ざる。音楽を聞くことも2桁を超えないとカラオケで歌えない。歌詞も覚えられない。

何度も言うけど困ったことがそこまでなかった。
もちろん、今まで見てきた映画や音楽を人に説明したり歌ったりする時喉がつっかえてうまく表現できないもどかしさは凄くあるけど、それらが大きなストレスに繋がることは無かったし、生まれた時というか気づいた時にはもうそうなってた。
家族は1度しか見てない映画でもストーリーをペラペラと知人に説明していたし、友達は「流行ってるから」だけの理由でカラオケで歌っていたし、あ、私ちょっとアホなんだなとは思っていた。
でも学生時代の成績は赤点を取らずに終えてその辺の差があってよく分からなかった。周りの人は赤点を取ってたり留年がギリギリだったり、あ、私ちょっと違うんだとも思った。
まぁそういう脳みそな人もいるんだよ、という話になる。
結果論だけど。

そんな中で最近浮上してきた悩みが、兄弟による「記憶がすっぽり消える」ことだ。

その子いわく記憶が今年の夏ごろまでしか覚えておらず、それ以降から一昨日あたりまでの約3ヶ月~4ヶ月が全く覚えていないらしい。子供の頃の記憶もあまりなく、年齢が大きな小学~中学もうまく話題が出てこない。
元々、中学入ってからは無機質な生活をしていた人だったから覚えるような大層な毎日は送ってないからこれは仕方ないことだが、夏から一昨日までの期間の記憶が突如消えることがよく理解できなかった。

私の頭の中の消しゴム」という映画が随分前に流行った。
それも小学高学年行くか行かないか、くらいの話だが、自分の事なのではないか?とその子は思い出して不安になったらしい。
「私の~」に関しては私自身まだ未視聴であり関連付けることが出来ないが主人公の脳の病気はもうそれはそれは莫大な規模の話らしく、やっぱり自分じゃないかも、と即座に冷静にはなっていた。
そんなこんなでその子は今は全く思い出せず、感情や記憶全て今年の夏までの話をよく持ち込むようになった。

かなり失礼な話だが私含めた家族は流行りの移り変わりというか、ブームの変動がかなり大きい。
先月ハマってたお菓子は突然飽きるし、かと思えば2ヶ月後にはまた再燃してる、などはよくある事だった。それらに順応してくれて買い物をこなすお母さんありがとう。
脱線したが、ブームが変わるため兄弟が今は誰が好きで何にハマってるかでその年月日や頃合いが浮き彫りになるのだ。
その子は夏頃にハマっていた人物にメロメロになっていて、先月好きだと話していた人の名は1度も出てこなくなった。

私にはよく分からなかった。
短期記憶型だ、とか長期記憶型、とか今はカテゴリ分けができるほど冷静でも大人でもなく、ただただ理解できずに呆然するだけだった。
またこうやって半年も経てば今の記憶は無くなるのか?とか、記憶がないという不安を分かりきれないなんてどうなんだ?とか、思考がパンク寸前だった。

「先月好きだった人のことがわからない」と言われて、うまく説明が出来なかった。
私はそこまでその子とその子の好きな人について興味がなかったのかもしれないなと思ったし、私ってめちゃくちゃ冷たい人間なんだなとも思った。

解決法を教えてください。



ここまで自分のことを考えて文章が書けるまで余裕ができてよかったな、とふと思う。

世話

入院が始まって早1週間。だったかな、初日のことをもうはっきりと覚えてない。

退院予定日が来週にせまっていた。そんな日。

私は私の好きなこと、やりたいことを優先として生きていた。
それをいいとして受け入れてくれる人がたくさん周りにいたし、無理に諭すような人もいなかった。
変に現実を見ようとした自分はよく居たけど。

それで、よくある劣等感があって、後悔もあって、でも好きなことは辞めたくなかったから代償としてはありなのかな、とか。

どうだろうな。
免許を取ればよかっただろうし、兄にはあぁ助言をすればよかっただろうし、妹にはちゃんと言えばよかっただろうし、母にはもっと感謝を伝えなければ行けなかっただろうし、資格もなく地位も名誉も財産もなく、私の人生の価値はあっさりと見計らえるレベルのものだった。
私はその価値があまりに好きで尊いもので大切だったから、無駄じゃないと胸を張って言える。けど、それと同じくらいの大きくて壮大な後悔もないわけではない。むしろずっとある。

ふとよく分からない思考回路をするようになった。
私以外の人が死に近すぎて、ただの現実逃避なのかもしれない。

明日にでもいなくなってしまうような、そんな脆い人がたくさんいた。
元気だ、と本人はよく言う。
ならいいや、と私はよく返した。
あっけらかんと明るく振る舞うことが正解であって、辛気臭くならないように必死。
バカみてえだ、と見下して私はなんら変わったことは無い、と虚勢を張る。
変わったことまみれだ。
気を遣うことが下手になった。
易々とバレるようになって、むしろ人から謝られるようになった。
気を遣わせてごめんね、と。
それを言われたくてやった訳じゃないとは思うが、じゃあどう言われたくて、思われたくて私は行動してるんだろ

よく分からない。

オチはない。
ヤマもないが、答えがどこにもなくて、求めてるものはただただ去年まであった「日常が欲しい」それだけだ

それは今流行りのウイルスのせいなのかもしれないし、身内の大きな変化かもしれないし、私のこのひん曲がった性格のせいなのかもしれない。

あぁ、私いつになったら幸せになれる

音楽

やはり、バンドは息継ぎもままならない中で畳み込むような歌詞の多さで苦しそうにもがくように歌うところでしびれるかっこよさがある。

キラキラとゆったりと情に浸る曲はアイドルくらいでいい。

青臭く人間臭く泥まみれなのに綺麗なものでいい