ファンという存在
ファンってガチで本当に最高にめんどくさい生き物である。
なに代表者ヅラしてんだと言われそうだがまぁ色々なジャンルに現在進行形で住んでるDDであり多趣味な人間の個人的意見だと「あぁ~~~そうですか~~~」程度に見てくれると助かる。
ってかなんとなく吐き出したくなったってのが1番ある。申し訳ない。
ファン
- 1.(主に)競技・演劇・映画、またそれらの特定の選手・俳優などに対する、熱心な愛好家。フアン。「―レター」
ファンとは上記。
1人の人に対し憧れを抱き、同時に夢を見て、人生を捧ぐ。
(いや分かってる分かってる「お前DDのくせに何言ってんだ」って声が聞こえる)
この人素敵!大好き!って夢を見て辛いことしかない時間を忘れさせてくれる。
恋人という存在意義とはまた別の、大事な存在。
(この文章中に出てくる"この人"は「今自分が応援してる人、自分をファンにさせて頂いてる人、様々な界隈で言う推し、担当」)
その間は現実も他人の目も時間も知らなくていい、この人の笑顔されあれば。って。
もちろんこの人の笑顔で辛いこと乗り越えるぞ!という方もいます。
私はどっちもなります。
本当にめんどくさいんです。
この人のことこんなに好きなのにこっち見てくれない!とか。
この人にこんなに見てもらえた!(言わばレス)とか。
口癖が一緒、好きな食べ物が一緒、誕生日が似てる、雰囲気が似てる、性格が似てる、とかなんとか。
たぶん本人は自分1人にサービスなんてしてないんですけどね。
平等にサービス(ファンサ)してると思うんですけどね。
どこまでも一緒なわけ無いんですけどね。
でもそんな現実は知ったこっちゃないんですよね。幸せだから。
すごいお金かけて遠征する人もいる
ライト層で近場で行く人もいる
グッズでお金かける人もいる
数少ない円盤に注ぐ人もいる
なーんにもしないでSNSのいいねで済む人もいる
みんなファン、この人が好きって気持ちが多かれ少なかれある。
でもたぶん、どの人のやり方が間違っててどの人のやり方が正しいのかはこの世が終わっても分からない。神のみぞも知らない。
応援するって範囲は価値観でしかなくて、みんながみんな同じ応援の仕方をしてると、"応援されてる本人"はどこかで崩れてしまう。
それはボロボロと砕けるように崩れるのか、爆弾のように激しく崩れるのかは、事務所だったり、まぁそこはまた話が変わるけど。
どこかでバランスが取れてるから、売れてるのかな、あの人やこの人は。
需要と供給とは言われるけど、応援されてる側はもっと他に考えてることがあるけど、ファンには到底届かない。
ファンは夢を見てる。
ずっとずっと降りることのない覚めることのない夢を見て、たまに、目覚ましのように現実に引き戻されることもある。
私だってこのまま夢を見ていたい
現実なんてクソくらえだと思う毎日を今日もまた笑顔を見て幸せになる。