徒然

誰も見なくていい日記

頭痛


風邪ひいて寝込んでる時ほど暇で切ない時間はない

暇つぶしは悲しいかな、スマホのみ。

喉も痛くて話し相手はいない、本を読めども頭痛が邪魔をして全く頭に入ってこない。


弱いな人間。


やっと今年も半分が消えた。


今年に入って、よく分からない、売れてるとも売れてないとも言えないようなグループを推し始めた。

人生で一番長く推してたグループはわたしとの方向性の違いで降りた。

新しく推したグループはまぁ変わらずダンスボーカルユニット、一般人からすれば地下アイドルの括りでも構わない。

ペンライト持ってライブ見て接触して、知らない人に説明したら「だれそれ?」「聞いたことない」

あっそうですか。はいはい。


今年の初めに、色々な人と不仲になった、それは一瞬にして終わり長く働いてた職場が閉店し潰れた。

人間関係でごちゃごちゃ言ってる暇などなくなったのだ。

バタバタと完全閉店を終え看板を下ろした姿を見届けると、あっさりと決まった次の場所は特に不満も満足もなにもない、お金さえ貯まればそれでいいと言った刺激とはかけ離れた存在。

またゼロからスタートだ。


周りはというと、死にたがりが増えた。

なぜだかよく分からないけど、自分が生死を強く意識し始めたと同時に、生きることを否定され諦める人が周りに多くなった。

「長生きしたいとかはないけど、でも今死ぬのはちょっと勿体ない。」くらいの感覚で今まで生きてた自分からすると、すぐに捨てられる時間を生きてて可哀想とも思った。

やりたいこと、してよかったこと、結果が見えたり想像したりすることが好きで人の目も気にしないで趣味を追うコツを掴むと、能天気気味に明るく過ごしていた、そんなわたしとはみんなと違ったらしい。



何かと文句が増えて、逃げ道で「死ぬ」ことを選ぶ。

すぐに逃げるような人になっていた。

「いなくなりたい」とか死を連想するようなことを言う人もいた。

まだ若いのに、とか結構思う。

これからの楽しいことよりも、今までの辛いことで脳のキャパシティを満タンにさせていた。そんな若さで。


人間って、相当な余裕がないと未来を考えられないのかもしれない。


若い、とわたしが言うと「あなたも若いでしょ」と言われる。

これがまたカチンとくる。

皮肉めいたように聞こえてくるのです。

若いってみずみずしいとか輝かしいという意味合いにもなるけど、人生経験の軽さや意識の甘さをひしひしと感じられて腹ただしく思う。


そんな軽い気持ちで人と関わったことはないし、人のことを言ったつもりはない。


どこを怒りの発端にしてるのか自分でもよく分からないけど、短気なのは短所だと自負してる。


生と死は離れられない概念だけど、誰一人として意識して生きてないような感覚でもある。

たまに、「明日たぶん、わたし死ぬ」とふとした時に考えて、様々なことの折り合いを突然つけたりする時がある。

当たったことは無い。ノストラダムスの大予言と同じだ。

どれだけ余裕が無いと未来を考えられないと言っても悪いことはどんな脳の状態でも考えられるらしい。


今の働いてる所は刺激がほとんどない。

ずっと同じ毎日だ。

だから熱を出してこんなブログを書いてしまうんだろうな。


死にたがりの人間をどうにか生かせようと蘇生作業に入る、推し始めたグループの治安が悪いと言われても見て見ぬふり。


たぶんずっと同じ毎日。